【評論】 2021/7/30 吉田 志門 テノールリサイタル

今回は、先日インタビューをさせて頂いたベルリンを拠点に活躍する若手テノール、
吉田志門さんのリサイタルの評論になります。

 

7月30日(金)14:30開演(14:00開場)

会場 :町田市民フォーラム3階ホール

問合せ : 090-1734-8116(柴田)

入場料 :1,000円

 

<曲目>

ロッシーニ
「セビリャの理髪師」からEcco ridente in cielo

バッハ
「クリスマスオラトリオ」からFrohe hirten

シューベルト
「白鳥の歌」から
Liebesbotschaft
Ständchen

「冬の旅」からLindenbaum

フォーレ
Claire de Lune
Après un rêve

マスネ
「マノン」から En fermant les yeux

ビゼー
Ouvre ton coeur
「カルメン」からLa Fleur Que Tu M’Avais Jetée

 

※アンコール※
Rシュトラウス
Morgen

サルスエラ「女たらし同盟」より「愛しているよ Te quiero morena」

山田耕筰
赤とんぼ

 

 

まず、演奏会を実際に聴いた方がこの記事を見てるということはあまりないと思いますので、
まず、志門さんのYOUTUBEチャンネルをご覧になった上で、発売されたばかりの以下のCDを聴いて頂けると私の書いていることが伝わり易いかと思います。

 

 

 

 

それでは批評を書いていこうと思いますが、その前に、

知人を他の歌手と同列に厳しく批評はできないのではないか?!
と考える方がいらっしゃるかもしれませんが、そんなことは決してありません。

実際、今までに大学関係の知人をかなり厳しく書いて嫌われた経験があります(笑)
それに、ご本人も恐らく私の記事は見て頂けると思いますので、褒めちぎるだけの記事など書いたところで意味がない上に、お友達にはぬるいとあっては読者の信頼を失ってしまいます。

それでは利害関係者を厳しく書けない職業評論家と何もかわりません。
完全に中立な評論というのは、それでお金を稼いでいないからこそできるものだと私は考えてこの活動をしていますので、そのことが少しでも伝わればと思います。

 

 

ではまず、ど頭のロッシーニから書いていきますが、
結論から言ってしまうと、最初に歌ったロッシーニと、次に歌ったバッハが個人的にはとにかく素晴らしいと思いました。

 

 

参考までに、志門さんのFrohe hirtenの演奏

 

 

 

志門さんの声はかなり特殊で、恐らくパッサッジョが一般的なテノールより高いのではないかなと思います。

ロッシーニもバッハもFやGの辺り(一般的なパッサッジョ)で繊細な表現を求められる曲で、特にバッハはロッシーニ以上に軽くコロがる上に、ドイツ語なので、イタリア語歌唱に比べれば硬質な響きが求められるので、私の知る限り、8・9割のテノールが鼻声に近いところで高音を出しています。

要するに、イタリアオペラの高音のようなギラギラした開放的な声(アクート)に抜けていくのとは全く別物の発声をしていて、そもそもドイツバロックの歌い方とイタリアオペラの歌い方は全く別と言う方もいるくらいです。

しかし志門さんは全然鼻声にならず、ディナーミクやアジリタを柔軟にコントロールしながら高音もしっかり抜けるようなポジションで歌い続けられる。

特に優れているのが”u”母音や深い”o”母音の扱い方で、
前に響きを集めようとすると喉に引っかかったり、鼻に入ったりするのですが、
彼は逆に引くような感じと言えば良いのか、飲み込むような感じと言えば良いのか・・・
恐らく数多といるテノール歌手より少ない息の量で息を声に変換できているように聴こえます。

ヴンダーリヒですら詩人の恋の冒頭の歌詞
「Im wunderschönen Monat Mai」「wunder」みたいな言葉は少し鼻気味に入れるので、著名なテノールで言えばアジリタの技術やパッサッジョの感じなども考えると、フランシスコ・アライサ(Francisco Araiza)に近い発声技術かもしれません。

 

 

 

因みに、ヴンダーリヒのクリスマスオラトリオのアリアがYOUTUBEにあります。

 

 

 

同じようなFやG辺りを繊細に歌うのでも、ベートーヴェンの歌曲、遥かなる恋人に寄せての5曲目

 

この曲なんかは鼻に入らないポイントで歌えているので、いかにバッハを他の曲と同じフォームで歌うことが難しいかが伝わればと思います。
まぁ、この曲でも「wonen」の”wo”はすこしポジションがブレてるんですけどね。

 

 

◆シューベルトの歌曲について

続いてシューベルトの歌曲です。
シューベルトについては流石に歌い慣れている感じなのですが、難しいのはピアノとの兼ね合い。
歌に対してピアノが何を表しているか?歌にどう絡んでくるか?
というところが聴く方としては楽しみな部分でもありまして、
会場がそこまで大きくなかったことを考えると、グランドピアノのフタを全開にしていたことと、ピアニストの方のペダルが「liebesbotschaft」や「ständchen」では深かったかなという印象を受けたことは。歌と伴奏のバランスとして工夫の余地があったかなと思いました。

ただ、これは自分の座っていた場所もあるのかもしれなくて、
本来は一番後ろの席で全体のバランスを聴きたかったのですが、今日は運悪く一番前の席しか空いてないという予想外の展開に💣
自由席なのに一番前の席が最後まで空いてるというのはちょっと不思議でした。

 

歌唱の方では、とにかく母音の幅が広がることがなくてレガートが安定しているのが素晴らしい。
一方の子音は良くも悪くも若さが感じられると言えば良いのでしょうか。
特に語頭の”T”、”F”、”R”がちょっと強い過ぎるのではないかな?と感じることがありました。
一方で”K”や”L”はあまり強くだすことがなかった。
色々考えがあってのことなのだとは思いますが、聴いている限りは意図をはかり知ることはできませんでした。

そんな中でも、歌い出しの語頭で特に子音が突出して強かったのが個人的には気になったところで、
例えばセレナーデの「Des Verräters feindlich Lauschen」
直訳すると「裏切り者が敵意をもって盗聴する」みたいな過激な歌詞で、
「Verräters」の”v”が、二重の”r”や、「feindlich」の”f”より強かったように記憶しています。
それだけでなく、志門さんの場合、母音が整っているという本来の長所が、こういうネガティブな言葉でも綺麗に聴こえさせてしまうという効果を生んでいるので、適度に母音を崩すことを覚えると表現の幅が広がるのではないかなと感じました。

 

 

 

◆フォーレの歌曲について

「月の光」
フォーレは有名な2曲が選ばれているので、選曲としては珍しいものではありませんが、
案外上手い演奏音源が少ない難しい曲でもあります。

まず「月の光」ですが、この曲はテンポ設定で曲の印象が随分変わります。
楽譜表記はAndantino quasi Allegrettoですが、楽譜によって♩=78、という表記があるものも見かけます。
私の感覚では、古い録音ほど遅めのテンポ、最近の演奏は速めのテンポの演奏が多い気がします。

例を挙げれば以下のような感じです。

 

Régine Crespin 1966年

 

 

 

Philippe Jaroussky

 

同じ曲でも、受ける印象が随分違いますよね?
個人的な好みとしては、ピアノが主役、歌がピアノで表現されている世界のナレーションのよな役割といった感じの演奏が好きなので、ピアノが伴奏に徹してしまう演奏はちょっと好みとして合わない部分があります。

上記の私の好みを踏まえて志門さんの演奏について書きますと、
テンポがちょっと遅めで、噴水のように静かでありながら絶え間なく噴き上げる左手の存在感がもう少し欲しいところでした。
歌としては、テノールが歌うと声質によっては暑苦しく感じてしまうものですが、繊細な志門さんの声はとてもマッチしていたと思います。
ただ、espressivo e dolce の表記がある「Au calme clair de lune triste et beau(悲しくも美しい月の光の静寂の中へ)」という歌詞からの変化があまり感じられなかったので、文章で正確に表現するのは難しいですが、もう少し歌い過ぎないで前半をサラっと流して欲しいところでした。

「夢の後に」
こちらは月の光とは逆にピアノは伴奏に徹した曲ということもあってだと思いますが、比較的劇的な表現をされていました。
その中でも密度の濃いレガートや、高音のピアノの表現は見事で、若いテノールらしい情熱と、完成されたブレスコントロールが見事に結実していて、もしかしたら、シューベルトより彼の良さが出ていたのではないかな?と思いました。

フランス物はちゃんと勉強したことがないので私の感覚が合っているかはわかりませんが、
「Tu」とか「Tes」の”t”が耳についたのが唯一気になった点でした。

 

 

◆夢の歌

マノンのアリアで、イメージとして志門さんにはとても合う曲だと思っていたのですが、
実際聴いて、今回一番課題が多い曲だなと思ったのがこの曲でした。

まずレチタティーヴォがちょっと歌い過ぎかなというところで、テンポを揺らさずアリアとの区別をつけて欲しかったのと、アリアに入る前のフォルテで書かれた伴奏のアルペッジョの前には、本来マノンのセリフが入るので、そこの間も伴奏は考慮して欲しいところでした。

アリアについては、1にも2にも伸ばしている音のヴィブラート。
ご本人の動画を視聴している関係上、ヴィブラートにはかなり悩んで闘ってこられたことを推し量った上でも、やはりこれは重要なポイント。
ドイツ語ではほぼ克服できていることが、フランス語の歌唱ではまだまだ改善の余地があるというのは、言語的の響きのポイントの違いが大きいのでしょう。

 

 

◆こころを開いておくれ
この歌曲についてはご存じない方もいらっしゃると思いますので、参考までに音源も載せておきます。

 

 

Ouvre ton Coeur

 

この曲は伴奏良かったです。
リズム感、不協和音の出し方、やっぱ若いテノールはこういう曲やらないとね。
歌と伴奏のバランスが一番良かったのはこの曲だったかもしれません。

 

 

◆花の歌
この曲を歌う声ではない。なんて誰でも書けるようなことを書くつもりはありません。
自分のスタイルを模索しながら歌われたのが伝わってきましたので、そういう意味では面白かったのですが、はっきり言ってしまえば歌唱がお行儀良すぎる。
やっぱりもっとネチネチした感じがないと、追いかけまわした上に刺し殺す、
なんて行為に及ぶ役が歌う曲としては物足りない。

具体的に言えば、
「un seul désir, un seul espoir(ただ一つの渇望、ただ一つの希望)」という
ミ♭、レ♭、ミ♭、ファの音型を3回も繰り返して歌う、この男のしつこさがよ~く表れるところですが、語頭に対して語尾が尻すぼみしてしまうので、推進力が落ちてしまって、
「te revoir, ô Carmen(お前にまた会うこと、おぉ、カルメン)」
という一番盛り上がる部分にエネルギーが繋がっていかない。

これ以上は表現的な好みも出てきますが、「ô Carmen」で”ô”と”Carmen”が繋がって聴こえてしまったので、感嘆詞出し方、呼吸のスピード感なんかも緩急がつくと良かったかなと思いました。

曲の批評としてはこんな感じですが、最後に一つ考えてみたいのは、
客席にて
「やっぱり志門さんはドイツ物が素晴らしいよね」
という会話が聞こえてきたことについてです。
そこで、なぜドイツ物が、イタリア物やフランス物より良いと感じるのかを考察してみたいと思います。

 


まず第一に子音の扱い方。
前述の通り、”t”や”f”の扱い方がドイツ語仕様な気がすることが1点目。

 


そして、これが肝心なのですが、”a”母音の開放感、明るさがもう一段回必要ということ。
”a”母音だけでなく開口の”e”、”o”母音も含まれますが、特に”a”母音の開放感は、ロマン派以降のイタリア物では絶対的に必要な要素です。

イメージとして受け止めて頂きたいのですが、例えばリート歌唱の名手、ジークフリート・ローレンツというバリトンがおり、彼のモーツァルトのアリアを聴いて頂けると、”o”母音が深過ぎて暗く詰まっているように聴こえてしまうのです。

 

 

 

 

しかしこの暗く深い”o”母音が、タンホイザーのアリアでは最高にハマるのです。

リサイタルでこの2曲を聴けば、聴衆はやっぱりローレンツはドイツ物だよな!
となりますよね。
志門さんの歌唱も、この母音の深さと明暗のバランスに、聴衆がイタリアやフランス物より、ドイツ物が素晴らしい。と感じる要因があると考えています。

 


歌唱が紳士的過ぎる。
何を歌っても歌い崩しもなければポルタメントも基本かけない。
母音の幅もブレないしブレスコントロールの巧さは突出している。
う~ん、一度アルコールを入れてイタリア物を歌ったところを聴いてみたいです(笑)
この感じは、共感して貰える方いると思うんですけどいかがでしょうか?

 

 

分析してみた結果としてまして、
志門さんがバッハ演奏に定評がある。
ということが納得できるものとなりました。

まだ30歳手前ですし、これからどんなレパートリーを開拓していくのか、
あるいは歌唱スタイルを追求していくのか、興味深く見守らせて頂こうと思います。

 

なお、まだ公開してないインタビューがありまして、その内容がリートの最前線についての話になります。
CDが出たらアップしようと思っていながら、まだ作業が出来ておりませんが、近々公開予定ですので、そちらもよろしくお願いいたします。

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